2006/02/08

《○ 1.準備》アートとか、デザインとか

僕の起業を考えたとき、アートと言われるものや、デザインと言われるものとの関係は切っても切りはなせない。事業計画書を作り、あらゆる統計データを集計していると一層そう思う。これは方針として、年齢・キャリア・性別等の様々な条件を超えて全ての「作る人」にとって優しいWEBを提案する事を考えているからだ。


僕は物づくり畑を歩いてきた人間として、「アートとデザインの違い」というテーマには少なからず興味を持ってきた。
例えばユングやフロイトに「人はなんなのか?」を問うてみたり、
コルビジェやライトから「ディテールの神?」を探してみたり、
モネや光琳に「昨日何食べたんだろう」とその脳裏を覗こうとしてみたりして、これらをしっかり分類分けしようとしていた。



でも結局最後には「で、これが出来たからどうなのか」に行き着く。


崇高な所にたどり着けなかったのは残念だが、真理として
素晴らしいものは、どうやったって素晴らしい。
人がなんと言おうと素晴らしいと感じられる。

そして、それを素晴らしいと感じる気持ち。
これがなによりも素晴らしいのではないかと思う。
ちょっとややこしい事を言ってしまったが、生きていて「素晴らしい」と思える事が一つでもある人なら、その人にとってアートとか、デザインとかは「ニーズ」を考えたとしても同じものなのではないかと思う。


毎日何かを作り続けたり、
毎日何かを考え続けたり、
毎日誰かを好きになっていたり、
毎日どこかに行っていたり、
毎日それとなく過ごしたり。


これらによって「素晴らしい」と感じられる感性やゆとりが持てるなら、すべての人にとってアートやデザインというくくりを超えてその感情は有意義なものなのだと思う。


僕が事業を起こしたい理由の一つとして、
人の“感”を養う環境、そして人間の創造の文化をもっと強く出来れば、世の中は細部に渡り潤い「ある種の理不尽さ」がなくなるとの確信がある。“感”とは、時にアートだとかデザインだとか言われるそれを素晴らしいと感じられる心の動きのそのもの。


月並みな事だが
僕の理想は「秩序と潤いの共存できる社会」だ。
心を引き締めていきたい。