2006/01/29

《○ 1.準備》数字ギライ

市場を知り的確な勝負をするのが事業には必要かと思う。
今、さまざまな統計を分析しているがこれがまた楽しい。
自称数字嫌いといっていながら、
エクセルの表に目を輝かせて釘付けの自分がいる。


僕は芸術をもって大学に入り、大学で建築、その後グラフィックデザインからWEBプロデュースへと来た人間で直感はともかくとして「論理」は別予算だと思ってきた。
しかし、ここにきてどうやらこれは間違いで、論理的な思考が実は一番大好きなのでは?と思い始めている。


小学校3〜4年生の頃だったか、B5のノートにすごろくを作っていた。
自分の教室や隣の教室から生徒が集まって遊んでいたのを思い出す。
すごろくと言うとどうもノスタルジックなイメージを浮かべるが、私の作ったすごろくはちょっと違う。


小学生のすごろくなので、三菱の六角鉛筆にコンパスの片足で穴をあけてさいころ代わりにしてそれでコマを進めてゆくのはかわりないのだが僕のすごろくは「ここで1戻る」やら「2回待つ」といったものはなく、


・ここに止まったらアイテムを1つ手に入れる
・条件が一つ加わる
・条件が一つ減る
・奇数で通過したら、あるポイントが追加される


…などなど。


思い通りに行かない複雑なゲームほど人を惹き付けるようなきがしていたから、各条件は複合的にからみあい様々なゲームを展開できるようにしていた。
プレイヤーの他に、ゲームマスターが存在し、マスターはプレイヤーの状態やポイントを逐一更新し管理、指示する。突然のイベントもマスターが発生させる権限を持つ。
例えば、あるプレイヤーが自分の獲得したアイテムを使う事を宣言する。するとゲームマスターが各使用条件をチェックして、プレイヤーに使用可能かどうかを伝える。
もし使用可能なら、そのアイテムの特性に従って、相手プレイヤーに攻撃したり、自分の体力を補給したりできる。しかし、もし間違ったときにアイテム使用を宣言してしまうと、アイテムの属性によって”ある”ペナルティーを受けてしまうといった形だ。


今思い出すと「よくもまぁ…」と思うのだが、今のこの不可解な論理好きな自分につながるなんらかのルーツがあったような気もする。


私はどちらかというと本能に従って立体造形を制作するのが好きだ。
ただ、その本能を押さえて論理で組み立てた物事が奏功を見るのも好きだ。
「何でも0から”自力”で創出する」っていうのが自分に見合うのかな。


さぁて、と。
明日も数値データの解析を楽しもう。